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桜庭和志のお役立ち情報です。
総合格闘技がまだ知られていない頃に、プロレス界で、当時「世界最強」のベルト巻いていた高田延彦は、ヒクソン・グレイシーと2度戦いましたが、2度とも「完敗」しました。総合格闘技とプロレスは違ったのです。そんな中、高田選手の弟子、桜庭和志選手が「ホイラー」・「ホイス」・「ヘンゾ」・「ハイアン」と、何と、あのグレイシー一族から「四タテ」を奪い、「IQレスラー」「グレイシー・ハンター」「生ける伝説」の名声をほしいままになりました。☆通称・サク☆国籍・日本☆誕生日・1969年7月14日☆出身地・秋田県南秋田郡昭和町☆身長180cm・体重85kg☆テーマ曲・「SPEED TK RE-MIX」☆スタイル・レスリング☆秋田市立秋田商業高等学校卒業☆中央大学商学部中退☆
グレイシー・ハンター
桜庭和志選手のベースは、レスリングです。初頭頃のPRIDEで、強豪外国人に対し、互角以上の戦いを演じた数少ない日本人選手の一人として知られています。総合格闘技の試合では、あまり見られないような、とてもユニークな変則技を繰り出して対戦相手を翻弄し、観客を沸かせることから「IQレスラー」と呼ばれ、人気を博しました。また、様々な総合格闘家が苦杯をなめてきた、「グレイシー一族」に対し、何度も勝利したことから「グレイシー・ハンター」との異名もとっています。小学生の頃に当時ブームを呼んだタイガーマスクに憧れ、秋田市立秋田商業高等学校ではレスリング部で活躍しました。中央大学レスリング部では「主将」を務め、卒業後にはスポーツクラブのインストラクターに内定していたのですが、4年間で卒業できなかったため、内定を辞退し、5年生のときに入団テストを受け、プロに転向、その際大学を中退しました。
プロレスラーは本当は強いんです
UWFインター時代は、レスリング技術に加えて、打撃と関節技を習得しました。この頃に桜庭の総合格闘家としての下地が築かれたのです。この時期はサソリ固めを得意技にしており、さらに技を掛ける時は大声を出して気合を入れるなど、総合時代の冷静な試合運びとは対照的な戦い方もしていました。マーカス・"コナン"・シウヴェイラに一本勝ちし、UFC-J王者となり「プロレスラーは本当は強いんです」と名言を残してもいます。
桜庭和志さん、もそろそろ結婚して!
その後、シウバに3度挑戦するが、3連敗。全身に滑るスキンクリーム(米国製)を塗った秋山と戦ったり、ヒクソン・グレイシーに「お兄さん、そろそろ僕らも年なんで試合お願いします」と対戦を呼びかけたり、ヒクソン・グレイシーに負けて引退した船木誠勝と対戦したり、総合格闘技ジム「Laughter7」をオープンしたりと、腕ひしぎ十字固め、キムラロック、ゆりかもめ、はずかし固め、モンゴリアンチョップ、幸せチョップ、炎のコマ、サクラバードキック等々、得意技はまだまだ健在です。ブログもユニークです。でも、桜庭和志さんもそろそろ結婚して身を固めてほしいですね。
桜庭和志選手は、「グレイシーハンター」として、一斉風靡しました。今の総合格闘技ブームの礎を築いてきた人物です。エリオ以来、日本人はグレイシーに勝てない時代が長く続きました。そんな時、安生選手が、世界最強のヒクソン・グレイシーの道場へ、道場破りを敢行し、報道陣シャットアウトされた道場で「総合格闘技」が行われ、安生選手の顔は変形して、意識なく、道場から放り出されました。その当時の、安生選手の顔がプロレス誌の表紙に掲載された時が、日本人のグレイシー一族への復讐戦が始まった瞬間でした。
桜庭選手手はまだまだ強いです!
桜庭選手手は、本当に格闘技が好きだと思います。まだまだ引退はしないでしょう。近年負ける試合が多くなってしまいました。しかし、勝負の世界ですから負けるときもあるでしょう。桜庭選手の場合は、負けること=弱いという訳ではないのです。実際に、戦う相手だって超一流のスペシャリストたちばかりです。そんな人たちを相手に毎試合戦うわけですから勝ち続ける方が不自然でしょう。私自身、桜庭選手からとてもたくさんの「勇気」をもらいました。これからも魅せられる試合を続けていってほしいと思います。今何かにつまずいている人、仕事がうまく出来ない人、一度、桜庭選手の試合を見てみませんか。本当に、勇気がでてきます。さて、桜庭選手と同い年に吉田秀彦選手がいます。吉田選手は、ここ数年、あまり良い試合を出来なくなってしまいました。「引退」の声も上がっています。吉田選手の引退試合には桜庭選手を指名するという噂もあります。果たして実現するのでしょうか。もし実現したとすれば、見たいようで見たくない、どちらの選手も応援したくなるようなそんな試合になりそうですね。そんな桜庭和志選手オフィシャルウェブサイトはこちらです♪→ http://www.saku39.com/